「高級なそれか、低級なそれか」

ZOEで伝えるタイマッサージや整体はバックボーンが武術です。
はじまりであり、
極み。

「私には関係ない、」
そう思われるでしょう。
言葉のイメージが先行していますから、そのイメージも仕方在りません。

あらゆる武術の到達点は「平和」です。

武の字を分解すると、
「止める」「矛」と書きます。

理不尽な暴力から、
愛するものを守る、
そんな意味です。

極めると、戦わずして相手と仲良くなれます。
争わないために學ぶ。
そこが最終到達点。

さて、
ZOEのタイマッサージ、整体はなぜそこをスタート地点にするのか?

ぼくは多くを學び共感しました。

いにしえの叡知。
「和」であり、
「輪」。

まず、
とことん「リアリズム」であること。

どんな肩書きを持っていても武の世界では実力が伴わなければ愛するものを守れません。

どんな言い訳をしても、
「お酒を呑んでいたから、、、」
「お風呂に入っていたから、、、」
「相手が沢山居たから、、、」

愛するものを守れなければ、
言い訳です。

この仕事にも近いものがあると思います。

昔、空手を教えているときがありました。
・お酒を呑んでいても🆗✌️
・武器を持ってきても🆗✌️

武道という、精神修養ではなく、
武術を伝えていました。

「守れなければ、言い訳」なのです。

そして、
とてもとても大事な現実が在ります。

・すぐに身に付くけど、大成しにくい武術
・なかなか身に付かないけど、大成しやすい武術

前者は中国武術で言う「南拳」。
黄布の乱で有名な「黄家拳」。
革命のために短期間で闘えるように構成されました。

有名なカマキリ拳法のトウロウ拳も南拳のひとつと言われます。

後者は太極拳が代表的です。
あんなにゆるゆるどんくさい動きに見えますが、、、
皇帝を守る護衛官は太極拳を學ぶ時代もありました。
「北派拳法」と言われる地味な流派が皇帝の護衛官になることが多かったのです。
時間はかかるが歳を取っても成長し続ける。

「高級なそれか、低級なそれか、」
というのは中国拳法でよく言われる言葉です。

南拳(外家拳)は外功と言って、みえるところに鍛練の重きを置きます。
コンビネーションや速さ、強さを鍛え込みます。
筋トレや、全身を木や石に叩きつけて身体を鍛えます。
ぼくもやりました。

北派拳法(内家拳)は、内功と言って、見えないところを鍛練します。
呼吸と身体の連動、
瞑想や気功。
三時間、ただ立ち続ける、
そんなこともします。
そして、まだやっています。

ラストエンペラーの護衛官武術教官の直弟子に当たる蘇師匠のエピソードにこんな話があります。

「トウロウ拳(南派拳)は、3年で無敵と言える境地に至る、そこで皆慢心する、
ところが10年やると八卦掌(北派拳法)にはまるで歯が立たない、そしてそこからの差は拡がる一方だ。」

ZOEでは、
明日から使えるコーチング(コツを伝える)ワークショップから、
生涯役に立つが地味に向き合う作業を確認するスクールがあります。

スクールを経験すると、學ぶ必要は無くなります。
技は不要になります。

この武術の話は、武術に真剣に関わってきたは人にとっては常識です。

そして、
ボディワークにも共通することは、
確信を持っています。

最終到達点が平和であることも。

中国拳法のはじまりが、
「道教」であることもそれを物語っていると思います。

どちらが優れているではなく、
どちらを選ぶのか。

10年ほど前に疎遠になった師の、
「なんで君たちは地球と繋がらないんだ❗こうっ❗こうっ❗」
と夕方から日付が変わるまで同じ台詞を言わせてしまったことを思い出す日々です。

「地球と繋がる」そこからはじまる、
近代より前の身体操作すら、まだまだ未熟ですが自由自在になりはじめています。

また、コロナが落ち着いたら師匠のとこに行きたいなー、と思っています。