【未來のゴッドハンドたちへ 「商売をなめんじゃねぇ」】

お客さまとのセッションを終え、駅に向かっているとスペイン料理の看板が目に入ったので立ち寄った。

カウンターでグラスを傾けていると、オーナーシェフが様子を見ながら語りかけてきた。

「この時間から来ていただけるお客様はサラリーマンでない方が多いですが、差し支えなければ。」

かくかくしかじか。

オーナーシェフがのたまった言葉。

「税も上がって給料は上がらない、そうすれば何かを削るのは当たり前です、そうすれば外食、お客様のお仕事、我々のようなところから倹約の対象になりますか。いやはや(笑)」

その通りである。

オーナーシェフ↓
「飲食は自分の味に、それこそ世界一という自負があっても半年で潰れるお店がほとんどです、お客様はシビアです。努力を続けても潰れるのが当たり前なんです😆」

客商売、このジャンルではぼくも同じです。

プロであれば当たり前なんです。

お金を頂けない高校球児ですら、朝5時に起きて100本くらいの素振りはする。

ならばお金を頂いているプロはどこまでのことをするのだろう?

当たり前のことを当たり前にする。

2025年にはリーマンを越える不景気が来ることはもはや常識である。

努力を苦痛と思うのか?

努力を歯磨きと同じレベルで行うのか?

そもそも努力をすることが楽しくてずっとやっていたいのか?

どれを選んでもいいのだ。

対価、という言葉がある。

その事象に「対」して、
幾ばくの「価」値があるのか?

自信がないと言うのであれば、練習をすれば良いのである。

それ以外、どうやって自信を付ける方法があるというのか?

祈れば自信はつくのか?

おためごかしの中途半端なおべっかに自信を着けさせてもらうこともあるだろう。
それはボーナスみたいなもので、自信というのは実践した数である。
換言すれば修羅場の数である。

柔道の木村政彦という偉人がいる、
グレイシー柔術に土をつけた二人目の日本人だ。

グレイシー柔術は二人の日本人に負けた以外は無敗だった。
尊敬の念を込めてキムラロックという技まであるくらいだ(腕絡)。

その木村政彦を表現するん言葉がある、
「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」

この言葉は故・木村政彦氏が「三倍努力」を実践したことにある。

「私は躰格に恵まれず、ならば人の倍努力しなければ対等になれない、人を越そうと思えば三倍努力するだけで良い」

木村氏が打ち込み(技を掛ける際で止める練習)する相手が深夜迄連続するため居なくなった。
仕方がないので立派な樹に打ち込みを行った。

あまりに激しい打ち込みに直ぐに樹は枯れてしまった。

努力するだけで実は楽しい。
他の職業で努力が結果に結び付くには年単位かかる。

この仕事は、努力であれ、セミナーであれ、直ぐに評価が変わっていく。

お客様の笑顔は直ぐに変わる。

それは、楽しいものだ。

努力するときくと「面倒」が先に立つかもしれない。

オモシロイ、楽しい、が先にたつ。
最初は自転車だって乗れないのだ、誰もが転ぶ、泣きべそをかく。

それでも氣付けば自由自在に漕げるようになる。
晴れた陽気に花花を見ながらサイクリングなんて楽しいしかない。

木村氏も苦行に思える修行を楽しみながら行ったはずだ。

スポーツだろうが、
音楽だろうが、
裁縫だろうが、

そういった時期は必用なのだ。

もちろんぼくも楽しみながら(人から観れば)練習をしている。
ぼくとしては楽しいしかない。

成長を実感できるなんて、なんて楽しいんだろう。

そしてまだまだ延び代しかないことに楽しさが波のように重なってくる。

楽しもう🎵