「未來のゴッドハンドたちへ プロからの即予約と可能性」

一般のお客様から即予約即指名を貰えることはこの仕事の職人仕事の醍醐味。

少し違う醍醐味で、
同業者、それもトッププロからのそれはまた満たされる。

同業者の方は、
ボディワークを受けなれているので、
「受け上手」。
受け上手の人の身体を通すと施術を導いて貰える。

無我の境地に簡単に辿り着ける。

その時、
俯瞰している自分と、
自分のコアにぐんぐんと潜り込む自分と、
受け手のファシアと自分のファシアが共鳴してそれはそれは、
なのである。

これは、タイマッサージのマントラにある
「今シヴァゴの御霊をここに降臨し、」の境地である。
二人ヨガの体現の先。

そのとき、
ゴッ○ハンド通信位の手技がピョコピョコ出てくる、

そのとき、
意識は俯瞰に在って中心にあるといういわゆるゾーンに在って、ファシアで意識レベルで繋がっているから相手の求めることに細胞レベルで応えている。
これは楽しい。
同時に受け手の喜びを共感できるので幸せでもある。

ここで共感を勘違いすると別物になるので(トラウマの解放セミナーで説明します)あくまでもメッタ(慈愛)。

このコミュニティの、「未來のゴッドたちへ、」
を表現出来るなら誰でも出来る。
ぜひとももう一度読み返してほしい。

世に言うジャンルを越えて「ゴッドハンド」って言われる人も同じことを必ず最後に言う。

もう読まれた方もいると思うけど、
「腰痛に対して、
先ずは筋肉、
それで入らなけらば骨、それでもならファシア、それでダメなら頭蓋、髄液、
多くの療術家はそれをしようとする、
こんなことしてたら本質には辿り着けない、」

これは当たり前なんです。
そんなところはゴッドハンドと言われるひとは見ていない。

この講座、たぶんフルで受けると100万くらいかかる。
もちろんその価値はある。
間違いない。

この~では辿り着けない、とかを理解して、
本質のアプローチをピョコピョコ出来るならそれはアートと言って良いのかもしれない。

ぼくはたぶんスクールティーチャーでないから、好き勝手シヴァゴの求めるままの追及を許されている。
それを伝えている。

自由自在、
自分が自分で在って由い

融通ムゲ、
今この瞬間、全てが思い通りである様、

14歳でブルーハーツを聴きながら立禅を行い、それからの20年人を上手に壊すことと、上手にもとに戻すことに夢中になった。

立禅、歩き瞑想
八極、陳式、八卦、古流に原理原則に氣付き、

フルコン空手で実践と理想の大きなズレを体感し修正の仕方に氣付けた。

「なんとか通信」位の手技なら一日5個くらい出てくる、
メモるのもめんどくさい。

実践の極み、
基礎のの反復。

そこにゾーンと言われる境地はある、
そこには技など要らない、
それはすでに不純物だ。

「李書文に二度打ち要らず、
1つ打てば事足りる」

そんなこんなで、
ぼくはタイマッサージに出会えている。

タイマッサージを通して全てを表現している。

ボディワークの可能性を低く見積もらなくて良い、
タイマッサージの可能性を低く見積もらなくて良い、

自身の可能性を低く見積る必要はない。

可能性を信じよう。