【天才と鍛練 (未來のゴッドハンドたちへ)】

昔、空手を教えているとき「天才っているんだなぁ、」と思えることがあった。

ある門下生は、
形だけではない上段廻し蹴りを、数度観ただけで表現して思わず「あっ!」と声をあげてしまった。

伝えておいてなんだけど、
ぼくはそれを未だに表現できない(笑)

彼は紛れもなく天才。

かたや、
上段を練習していた他の同期生は形にすらならない。
不細工。

数年経ち、

不細工な蹴りを放っていたその同期生は、上段廻しを得意とし、「上段職人」と言われるように。

天才と思われた門下生は上段を使わなくなっていた。
「興味がなくなった。」と言う。
それもまた良いと思う。

練習から鍛練へと継続することで
ワークから感覚へ
意識から無意識へ。

かつて不細工だったその蹴りを止めれることは容易ではない。

本人が出そうと思っていないのだから、
受け手は先行動作も蹴ってくる氣配も読めない。

訊けば、
「初めて決まった時の感覚が、残っているんです。決まった時の感動が毎回蘇って来ます。」と言う。
そして、上段を出した後に自分で出したことに氣付くと。

愚直に1つのことを繰返し、
成功体験を貴重な経験として得られた不細工な蹴りを放つ門下生は、上段廻しの名手になっていた。

来る日も来る日も、繰返し繰返し電柱を蹴り続け、イメージして、数万回の後に出てきた成功体験は決して忘れられるものではない。

「千日を【鍛】とし、万日を【練】とする」

鍛練は努力ではないと思う。
子どもがひねもす夢中になって遊んでいる状態なのだと思う。

人から見れば努力なのかもしれないけれども、本人は夢中になって遊んでいる。
だって、苦痛なら続かないから。

それはとても楽しい。
その中に居るときは、満たされている。

隙が大きく、体軸も不安定な上段廻しは反撃を食らいやすい。

だからぼくも使わない。
いや、使えない。
寝技師にとってはこんな大好物はない。
何度、良い鴨にされたことか。
むしろトラウマ級のリスクしかない。

天才は成功体験に感動が薄い。
凡才は成功体験が厚い分、大切にする。

イチローのように両方兼ね備えている化け物のような存在もいるけど。

愚直に1つのことを繰返すことは、
美しいことだと思う。

知識ではない、
表現の世界。

まだまだ、
楽しみが尽きない。

写真はツンデレの天才とくちびるを奪われる凡才✨