人の身体に触れることを生業にする人へ。
この記事では、2020年に書いた「未来のゴッドハンド達へ」から、上達の道すじについて書いた4本をまとめ直しました。
結果を簡単に求める風潮の中で、あらためて大切にしたい「過程」の話です。
守破離:結果ではなく、過程に氣付く

物事を追求するときによく言われる言葉に「守破離」があります。
- 守:その流派、師匠の言うことをひたすら守り、表現し、理解する時期。「なぜこの工程を踏んでいるのか?」一見意味のないお祈りや食べ物の決まりにまで思いを馳せ、結果ではなく、そこに至った過程に氣付く時期。
- 破:その流派、師匠の言うことをひたすら破る時期。全部うまくいかないからこそ、その流派が目指していたものを痛烈に理解できる。失敗し、試行錯誤し、自分なりの形を模索することで、より真理を理解できる。
- 離:事象の真理、その流派の真理に氣付くことで、自分の環境を通した表現を得て、自流派を立ち上げる時期。
ぼくは守の段階では、師匠の家の草むしり、買い物、洗車までを楽しくやりました。そこで「こうした方がいいね」と一言もらう。それは武術の動きや考えと極めて似ているアドバイスです。
師匠の箸の上げ下ろし、着物を着る順番、掃除の仕方、咀嚼まで、すべてを真似る。真似る(まねぶ)は、学ぶの語源です。
守の段階で他流派のものを学ぶと、「あれ? 変な臭いがするな」と師匠に言われます。多角的に理解することも大事ですが、それは破の段階のこと。
守の段階では、「わからない」「迷う」、そして自考自調(自分で考え、自分で調べる)が必要なのです。
「答えを与えられた」段階で、その人の成長は止まります。延々とセミナーやスクールに通って「できた氣」になり、現場で何もできないことにすら氣付けない。
ZOËでは、この自考自調の過程を何よりも大切にしています。型稽古だけでは実践に足りず、実践だけでは理に辿り着けなかった経験がそうさせます。
結果を求めすぎてはいけない。そこに至る過程を理解できなければ、辿り着けません。結果なんぞは、過程の中から生まれるものです。
そのために何をするのか。実践あるのみ。最低百です。
千日を「鍛」とし、万日を「練」とする
空手の世界の言葉
三年同じことを繰り返して「鍛える」、十年弱で「練っている」。一つの動作に十年かけるのが、昔は当たり前でした。
向き合えないのであれば、技術職は名乗らない方が良い。続けることで向き合えると氣付くこともあるし、やはり向いていないと氣付くこともあります。接客業として向き合うのか、技術職として向き合うのか。どちらでも良い。どちらも素晴らしいのです。
自由とは「自分が自分で在って由し」。まずは流派や先生の世界観を理解するために、無駄と思うこともすべて吸収する。不明点があれば先生に訊く。
学ぶとは、自分の思考パターンを切り替えることでもあります。自分の習慣を変えるには、少しばかりの抵抗は必ずあるものです。
天才と鍛練

昔、空手を教えていたとき、「天才っているんだなぁ」と思えることがありました。
ある門下生は、上段廻し蹴りを数度見ただけで、形だけではなく表現してみせた。思わず「あっ!」と声をあげてしまいました。伝えておいてなんですが、ぼくはそれを未だに表現できません(笑)
かたや、同じ時期に練習していた同期生は、形にすらならない。不細工な蹴りでした。
数年経って。
不細工な蹴りを放っていた同期生は、上段廻しを得意とし、「上段職人」と言われるようになっていました。天才と思われた門下生は「興味がなくなった」と、上段を使わなくなっていた。それもまた良いと思います。
初めて決まった時の感覚が、残っているんです。決まった時の感動が毎回蘇って来ます。
上段職人になった門下生の言葉
来る日も来る日も電柱を蹴り続け、イメージして、数万回の後に出てきた成功体験は決して忘れられません。練習から鍛練へ。ワークから感覚へ。意識から無意識へ。
本人が出そうと思っていないのだから、受け手には先行動作も氣配も読めないのです。
鍛練は努力ではないと思います。子どもがひねもす夢中になって遊んでいる状態です。人から見れば努力でも、本人は夢中で遊んでいる。苦痛なら続かないから。
天才は成功体験への感動が薄く、凡才は成功体験が厚い分、大切にする。イチローのように両方を兼ね備えた化け物のような存在もいますが。
愚直に一つのことを繰り返すことは、美しいことだと思います。知識ではない、表現の世界。まだまだ、楽しみが尽きません。
成功体験とセルフワーク

雨の切れ間に公園を散歩していて、歩くと右と左で仙腸関節に重さが乗る場所が違うことに氣付きました。今まで意識が行かなかっただけで、ずっとこうだったのです。
このずれが「必要」な中で生まれたことも、ニュートラルに戻すことがその必要性を否定することも分かる。山の中の生活を少し送ったから、氣付けたことでした。
歩きながら仙腸関節を調整すると、別の場所に関連痛が出る。そこも調整すると、その先にも。三点、五点の調整で、時間にして15分。
自分でやっても明確に変化は起きて、目を瞑って歩けば真っ直ぐに歩けるようになりました。それでも、「根本が何だったか」は顕在意識のレベルでしかわからない。だから結局、「信頼できる人のタイを受けたいなぁ」となるのです。
とはいえ、こうしたセルフワークが成功体験となり、そこに確信が生まれます。それが「なんとなく教わった流れ」ではない、確信の中での施術につながる。
人間としてはリセットが必要で、プロフェッショナルにはこの「純度の高い成功体験」が必要だと思います。技術よりも、原理原則を表現することを楽しむ。ZOËはそこにフォーカスしています。
時間が止まっているときこそ
状況がすぐには変わらず、待つしかないときもあります。
ならば、ひたすら自分と向き合うでも、基礎に戻るでも、仕事とは違うことから感性を磨くでもいい。
腐らず、氣力と体力を落とさず、できることをやっていく。
